ただの愚痴なので、興味の無い人は読まない方が良いです。


 私は自分の事がどうしても好きになれない人間なのです。
どこらへんで嫌になったかというと、中学の頃3年間いじめにあっていたあたりではないかと思います。
 きっかけはくだらないお話、ただの喧嘩みたいなものでした。
 それから、負けた相手の言うことを聞くようになり、やれ万引きをしてこい、学校の屋上を歩け(当然怒られましたよ)、弟達にも八つ当たり気味にあたっていたと思います。
 お金を要求されたこともあったと思います。
 このときの経験が総じて自分嫌いの発端だったと思います。
 それまでは、そんなこと考えてもいませんでしたから。


 運動嫌いになったのもこのころだった気がします。
 ただの体育で、熱くなっている人がおり、例えばバレーボール、例えばサッカーでミス等をすると終わったあと校舎裏など人目の無いところに呼び出され、あれはなんだと鉄拳制裁を受けるわけです。


 高校の生活は、今振り返ると楽しいものでしたが、いろいろな問題もやはりありました。
 中学の時のようになるのはもう嫌だったので、自分に社交的であるべきだと言い聞かせ、それなりに自分の改造ができ、他人への受けも上場だったと思います。
 しかし、心の中で考えていることとやっていることのギャップは、なかなか埋めがたいものでした。


 勉強は、もともとできる方では無いので高校も、自分の受けた学校の中でも県内最低と言われるところを選びました。
 まぁ、そこでも3年の頃には追いつく事ができなくなっていっていた訳ですけれども。
 一番の原因は記憶力のなさではないかと思います。3ヶ月たってしまえばそれまでできていたことが、全くできなくなっているのです。
 特に、電気・数学が顕著だったと思います。
 公式の解方とか、覚えてしまえば確かに簡単です。しかし、一度わかった解き方を、また1から考えないといけなくなるので、いつまでもわからなくなるわけです。
 1年の時は、オームの法則とか覚えて、内心得意にまっていました。
 授業中でも慢心していたと思います。
 しかし、公式がわからなくなってくるととたんにダメになっていきました。
 電気関係の仕事をしているのに、今でも電気は苦手です。


 このころから、あきらめ癖がついてきた気がします。
 悩むよりは、そんなものだとあきらめてしまわないと、先へ進むことができなかったからです。


 こうやって考えてみると、やっぱり自分を好きになれる理由が見あたりません。
 高校の頃は、30歳まで生きていられればそれで良いかなと思っていました。
 それまでに、もしかしたら家庭を持てているかもと思っていました。
 ま、当然ながらできるわけがありません。


 異性が親切にしてくれれば、もしかしたら好きになってもらえるのかもと告白したこともありますが、当然断られる訳です。


 どこでこんな話をしても、見合いをするべきだとか言われますが、どう考えても写真選考で落ちることは分かり切ったことです。
 さらには、すでに体も悪い、将来性も全くない、お金も持たない等、内々づくしでもうどうしようもない訳です。


 親切心で見合いとか勧めるかたは、まず相手の顔・体型をよく判断して勧めるべきだと思いますよ。